【シリーズ化するかも!】身の上話 episode1.0
今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」
これに載って自分の身の上話シリーズを書いてみたら、後々自分の記憶がなくなり始めた時に役に立つのではないか?!と思い、おじいちゃんとおばあちゃんの話を書いてみます。
祖父:
#78歳(多分)#栃木県出身 #山菜取りが趣味 #6人兄弟 #真ん中(多分) #入れ歯 #高血圧 #酒 #たばこ
祖母
#78歳(多分) #山梨県出身 #友達が少ない #二人姉弟 #女子力高い #認知症 #腰痛持ち #杖
私の祖父母の基本情報は上記の感じ。
祖父は、6人兄弟の真ん中。6人は、男3人女3人にわかれていて、今では半分の3人くらいしか生き残っていない。多分だけど、祖父は典型的な田舎坊主だったと思う。結構な田舎に本家があるし、お金もなかった家庭だったみたいだから。
祖母は、大規模農家の娘で、その農家は今は祖母の弟が継いでいる。確か、祖母のお父さんは、戦死なさっていると聞いたことがある気がする。
祖父母は、東京で出会っている。二人とも当時出稼ぎで東京で働いていて、そこで出会って恋愛をしている。おそらくそれは1960~1970年代。
二人は、東京の地理には詳しいので、私が就活云々で東京に行くといろいろ地名を出してくる。
高度経済成長期に首都で働いていたから、きっと二人の収入はよかった方だと思う。なぜかというと、祖母が祖父に貢がせた、とても大きいオパールの指輪があるから。
今は認知症の祖母がどこかに無くさないように母が預かっているけど、なかなか見ない大きさの石がついた指輪。
祖父母は結婚式をしたのだろうか。。したとしたらどこでやったのだろう。。
彼らは結婚し、祖父の実家がある栃木に居を構える。ここできっと、祖父母共に職業を変えている。
祖父は何をしていたかわからないが、祖母は内職で家でミシンをずっと動かしていたらしい。もう今は無いけれど、とてもいいミシンだったそうな。
結婚当時、あんなに大きい指輪を買っていたにも関わらず、母が子供のころ、祖父母はとっても貧乏だったみたい。祖父の仕事がうまく稼げない仕事だったのだろう。
おそらくそのせいで、結婚した後は祖父はとても横暴な夫であり横暴な父だった。
いつでも酒を飲んで威張り散らしていたんだって。母が高校生くらいになると、母と祖父でとても喧嘩をしていたみたい。
祖父は6人兄弟で、みんながみんな栃木で家庭を持ったので、祖父母の親戚付き合いはとても多い。その親戚の中でもお金がない家庭なのがうちの祖父母の家で、そのせいで娘である母はとても悲しくて空しい思いをたくさんしたみたい。祖母も、お金がないけど親戚に付き合いにはお金がかかるわけで。その辺を、祖父の兄弟(だから祖母にとっては義兄弟)にたくさんいびられたりしたみたい。
祖母の今の超絶内気な性格は、このころの理不尽な夫と義兄弟の仕打ちによるものじゃないかなと、私は思っている。
母も経済状況に関して幼少期そんな経験をしているから、私には家のお金事情はあまりわからないような教育方針だったんだと思う。そのせいで私はお金に無頓着になっているわけだけど。
母の弟である伯父が割と良い高校に進んだり、母が看護師になったりして、だんだんと義兄弟との確執は和らいできたのだと思う。その他の親戚がそこまで安定した「いい人生」じゃなかったみたいだから。
イナカの人間の人に対する評価軸は「行った高校の偏差値」と「安定した職業か否か」に尽きるので。
母が成人したころから、私ができるくらいまでのことは、聞いたことないのでブラックボックス。でも祖父母は転職をいくつかして順調にお金を貯め、家を建て替えたり車を買ったりしているのは、この時期。
私ができて、私が物心ついていたころは、祖父はまだどこかで働いていた。どこだったんだろう。。。
祖母は、内職をとっくに畳み、ゴルフ場でキャディーさんをしていた。このころの祖母は身だしなみの綺麗な、上品なおばあさんだったな。
私の一番好きな祖母は、この時期の祖母かもしれない。いつも化粧品のいい匂いがして、良い鏡の前でおしろいを塗っているところをずっと眺めていた記憶があるし、父と母の喧嘩があって自宅から祖父母宅に出ていった時も、祖母に助けを求めていたし。
私が小学校・中学校に通っているときは、母が働き始めたので私の家に常に祖父か祖母がいた。小学校高学年、祖父が嫌いで嫌いでたまらなくて、意地悪な接し方をしていたのが悔やまれる。(亡くなったみたいな言い方するけどw)
結構な時間をここで祖父母と共有しておきながら、大した話もしなかったし、ただお世話してもらっていただけ。
なんであんな可愛くない孫の面倒を見てくれていたんだろうな。愛情ってフシギ。
ここで祖父のことが嫌いだったのは、もしかしたら私の反抗期だったのかもしれない。父と母に出なかった代わりに、祖父を心の中でけなし、こきおとすことで反抗期っぽい心の動きをしていたのかも。今思うと。
私が成績が良く進学校に進み、国立大に入ったことで、祖父母は兄弟たちにちょっと大きい顔ができているようだ。
大学1年か、2年の時、祖母の認知症が発覚した。
母が献身的に今でもサポートをしているが、当時一番ひどかった時期は、だれかれ構わずキツく当たり散らしていたみたい。
「あたしを精神病院にいれようとしてるんだろ!!」とか、
「助けて~~~!!!」とか言われたみたい。
でも私が仙台でえっちらおっちら暮らしているうちに、父と母で対策を実行していた。
具体的には、ほぼ毎週末外に連れ出し、脳に刺激を与えること。
認知症の方って、高確率でおうちに引きこもりがちになるらしい。年齢が高くなると腰が痛かったり足が動かなくなったりするものだし。
このころには父方の祖父母はどちらも亡くなっているので、父も熱心に祖父母の面倒を見ている。
父と母の努力と、律儀な薬の服用の成果で、認知症の進行はここ1年はストップしていて、祖母も穏やかに暮らしている。
でも、私が帰省するたびに祖母が痩せていき、祖父の耳が遠くなっているのはちょっとショック。
私が17歳から21歳になるのと同じだけ、祖父母にも年月は流れているんだもんなと、実家を出て切に感じます。
ここまでが大体、祖父母について私が知っていること。
たった2000字程度におさまっちゃうんだな。20年間生きてきて、祖父母と接しているのに。
今度また帰省して、もし気が向いたら、身の上話を聞いてみよう