2016年雑感と2017年抱負
一年をひと月ごとに振り返ってみるコーナー
進撃の巨人を読みながら
イライラ
未練
お疲れ様です!
今日は、未練についてお話いたします。
ひとつの役割とか、チームに関して未練を抱くことが最近あります。
最近、
一つのチームの中で、執行部というポストに就くかつかないかという判断をしました。
私は実質去年の12月から執行部の中で日々活動していました。
今年も代替わりの時期がやってきつつあって、やりたいかやりたくないか判断する時間を与えられて、考えていました。
タイトルが「未練」なので、結局のところは「やらない」という決断をしました。
ほかのメンバーが、私という存在の有無でどんな影響を受けるか考えたり、4年間という短い大学生の間、もっとやるべきことがあるんじゃないかって考えたり。
で、一番大きい理由としては、最近、人との交わりで学ぶことが多くある中で、自分ひとりで考えて、熟成させて、経験して、まったく知らない、わからないところから自分で読み解いたりする経験を長らくしていないということです。
大学最初の2年間、いろんな人と巡り会って、いろんな経験をしてきました。でもその代わりに犠牲にしてきたこともきっと少なからずあるんだと思うんです。
不器用なので得たいものは全部得ながら生きていくことはなかなかできませんが、大学3年目からはバランスをとりながら変わらず、それ以上にいろんなことを経験していきたいと考えています。
これが自分にとって最善の選択だと考えたので、理性のところでは未練はありません。
でも、、メンバーが好きで、もう一回やりたい、みんなと一緒にまた考えてみたいっていう気持ちもあることを無視できずにいます。
でも、考えて決めたことなので後悔はしていません。
でも、未練がほんの少し。
でも、団体やめるわけでなくて、執行部をしないってだけです。それだけ。
団体は、好きなので続けますが、意思決定を最近したってお話でした!
ではまた!
ユキ
父母の老い
こんにちは!
前回の更新から一日か二日しかたっておりませんが、再び更新です。
正直、すごく書くのが辛くてとても書きづらいトピックではあるのですが、
今日は、≪父母の老い≫について。
今日、久々に両親と会いました。用があって、地元からこちらに来てもらったのですが、これまでうすうすと感じていた、〈老い〉を露骨に感じて、目をそむけたくなるような、でも見ることが私に課されている使命とも感じるような、何とも言えない気持ちになってしまいました。
田舎の両親が、都市に、しかも一回二回ほどしか来たことがない街にやって来たんだから仕方がないともいえるのですが、
「やっぱり都会だね~」とか、「このまえ転んだ時の跡がまだ痛いんだよ」とか。
ふと、目の前で二人並んでごはんをたべる、また少し太ってしまった母と、どんどん髪が薄くなる父を見て、「彼らも確実に年を取っている」と、感じてしまいました。
田舎の小さい夫婦に見えてしまって、そう見えてしまった彼らに対してすごく寂しさを感じるのと、そう見てしまった客観的な自分の残酷さと、悲しさと、どう形容したらいいのかわかりませんが、そんな気持ち。
明らかに体力がなくなり、考え方も丸くなり、困ったような顔で電話にこたえる父。
もっと厳しくて理不尽でわたしのこと信用していなかったのに、変わってしまった。
父のことが嫌いであり、反発していたはずなのに、何に関しても無意識に父の意見を聞かないと不安そうな母。
しっかり一人の会社に勤める人間としてやっているのにおとうさんはおかあさんのこと信用していないんだよと、怒りながら言っていたのに、無意識に、一人では不安げになるようになってしまった。
こういう見方をするのは、私が成長したからです。たぶん。でも彼らは変わってしまった。
自分にとってもう彼らは、厳しいけどくちうるさく、理不尽なこと吹っ掛ける父、なよなよする私に発破をかける、大好きな母ではなくなってしまった。
そんな両親像は、もう過去のものになってしまった。
地元に愛着もないし、帰省したいともほぼまったく思わないし、両親のことも好きかと言われれば好きじゃないと答えるような娘なのに、なんでいまこんなにかなしいんだろう。
20歳を迎えて、一番変わったことは、両親との付き合い方、そして私にとっての両親の在り方かもしれませんね。
この気持ちはスルーしちゃいけないと思ったので、かきました。
では。