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今年の夏休み総括

#ユキメモ

またまたお久しぶりです。

ユキです。

 

ついに、読者から「ユキメモが更新されない」というリマインドをいただく事態になったので、更新いたします。

言い訳をさせていただきますと、ブログのことを忘れたことはございませんでした。

タイ旅行してた時も、バイト中も、「ブログ書かなきゃブログ書かなきゃ」とは、感じておりました。

なんで書いていなかったかというと、

いままでの記事を見てくださっていた人はわかるように、私のブログ、記事のジャンルがバラバラでした。

 

エンタメ系の記事を書いたり、自分の近況報告をしたり。

 

ブレブレブログを書いていることは自分でも承知で、軸を定めかねていました。

 

書きたいことは、たくさんあるんです。

 

・タイ旅行にいってきたこと

・今年の夏わかった、じぶんのこと

・人生初、ぎっくり腰になったこと

認知症のこと

 

とか。

 

でも、私がこのブログで何をしたいかというと、自分の思考を整理して言語化することです。

それに見合うことを書こうという考えに至り、結局

今年の夏わかった、じぶんのこと

に決定したのも、つい先日のことだったりしたのです。

(もちろん、息抜き記事として、旅行のこと、腰痛のことも、書きたいなとは思っていますが。。)

言い訳でした。

では、本題に移ります。

 

今年の夏、自分のことがわかってきました。

自己理解が進んだんです。

なにがわかったか、何が自分にとってnewだったか、箇条書きにします!

 

・自分の、思考方法

・実は感じていた違和感の理由

・人生のバランス

の、3点です。

早速上からまいりましょう。

・自分の、思考方法

 

いままで、同期たちとのMTG中の議論の中でまったく考えが浮かばないことが、しばしばありました。

でもそれがなぜなのか、自分の思考方法の特徴などを考えることはしてきませんでしたが、この夏休み、ふとした拍子にそれが見えてきました。

新しく分かったことは、

 

わたしは、集中して膝を詰めて考える型より、無意識のうちにものを考えて、ふとした時にアイデア、意見が出てくる型だということです。

 

これが分かったのも、道を歩いているときでした。

 

思い出せば思い出すほど、自分がこの型だということを証明するような経験が出てきます。そのときは全くノーアイデアでも、しばらくたつとぴょこっと考えが浮かぶんです。

 

それが判明してから、焦って意見を出そうとしたり、無理矢理に施策を考えたりしようとすることをしなくなりました。

自分の思考方法が分かったことで、結論は出せるだろうと、自分に信頼を置けるようになったのかもしれません。

 

 ・実は感じていた違和感の理由

実は、6~8月にかけて、自分に違和感を感じながら生活していました。

その違和感とは、

・高校生の時ならできていたようなことで注意をされる

ということです。

もうちょっと詳細に説明いたします。

私は小学校高学年ごろから、「気の利いた」人間にあせるようなしつけを受けてきていました。

「気の利いた」人間になりなさい と、直接言われていたわけではないですが、おおざっぱで適当な性格の私は

「アンテナを張って、周りのあらゆることに気づきなさい」とは言われていました。

それは、人間関係のことも、身の回りのこともです。

 

高校生ともなると、アンテナを張ることにも慣れてきて、先を見て、行動できるようになっていました。

しかし、今、インターン先、バイト先で注意されることが、

「高校の時だったら、明らかにできてたな」という事柄であることが多いのです。

それに気づいたとき、最初は、

 

「私高校の時よりアンテナが衰えたのか」

 

と感じていました。

でも、そうだとしても、その理由がわからない。

それが違和感になっていました。

でも、タイ旅行中、真相が判明しました。

どうやら、海外インターン経験が大きく影響を与えているらしい。と。

 

私は、今年の2~4月、海外インターンに参加して、マレーシアにおりました。

そこでは、インド系マレーシア人の経営する孤児院のような施設に、 ドイツ人、ポルトガル人、オランダ人、日本人、ベトナム人、カンボジア人で共同生活しながら、働いていました。

 

私と同室だった、ドイツ人、オランダ人の女性たちの影響だと思うのです。

彼女らは、優しく、懐も深くて、いい仲間でした。でも、やさしさの与え方がやはり日本と違っていました。

日本では、気を使って、声をかけたり、困っていることを助けてあげたり、というように積極的に好意を配るやさしさ、

欧米では、自分が気づいたときにちょっと声をかける、優しくはするけど、自分のことを犠牲にしたりはしない。あくまで自分のことを第一に。

という、比較的消極的なやさしさの与え方。

 

わたしは、彼女らのなかで一番年下で、英語も達者でないこともあって、彼女に助けを求めることもたくさんありましたが、

日本のそれとはまったく違う、やさしさに、たくさん戸惑い、傷ついてもいました。

 

そこで、「自分の都合を第一に」というスタンスを、持ち帰ってきてしまったのではないかと思ったのです。

 

高校の時までは気づいていた事柄に、今でも気づくのです。やはり一度見についたことはなかなか離れませんから。

でも、海外インターンから帰ってきた後は、気づいても、

「やってあげたほうが喜ぶと思うけど、そんな気分にならないからいいや」

「今わたしがやらなきゃ絶対ダメってことではないよね」

といって自分の都合を優先に、怠けるようになったのです。

 

だから、至らない点が多く目立ち、怒られたり、自分でも「衰えたかな」なんて思うようになったのではないかと考えています。

 

でも、その変化が自分にとって、必ず悪いことだとは思っていません。それに関しては、次の箇条書きにいきます!

 

 ・人生のバランス

また私の自己語りが続きます。ご容赦ください。

小学生、中学生のころ、いじめられっこでした。

 人間は、つらいことはいつまでも覚えていないように作られているもので、とってもつらかった時期の思い出はそう鮮明に覚えているものではありませんが、

 

その時期ずっと、「今悪いことをしている人たちには、将来必ず悪いことが起きる。私は、いまたくさんいいことをしておけば、将来いいことが起きる」と、もうずっとずっと唱えて暗示をかけて暮らしていました。

そうでもしないと、希望をもって生きられなかったんです。

 

だから、小学生、中学生のころは、360°いい子でした。

校則破るなんてもってのほかだし、聖人君子のようでした。

なにも考えず、取り合えずきまりは守る。いい子でいる。

そうすることで私は救われる。絶対。

 

と、考え続けていました。

 

高校生になり、いじめられることがなくなり、初めて、心からの友達ができて、気の合うひともいっぱいいる環境で生活できるようになったものの、その信仰は破られずにいました。

 

だから、今までに私は、悪いことなんて、絶対したことなかったし、反抗期らしいものもなかったし、徹底的にいい子でいたんです。

 

その反動がいま来ているのではないかと考えています。

学生時代、自分の都合<良いことをしよう精神  だったのが、ここにきて初めて

     自分の都合>良いことをしよう精神  になってきています。

 

でも、ずっと前からうすうす感じていた、

「このまま反抗期とかもなにもなく育っていって、30代とかになって、ゆがんだ形でそれが露出するのかもしれない」という懸念はなくなりそうだし、

いままでの人生と、バランスをとっているのだとしたら、

いま私がポンコツになって、ひとに怒られててもいいんじゃないかな、私の中の問題に限れば。

 

って、思っています。もちろん、私と働く皆さまにとっては、ポンコツでいられると困ると思いますが。

 

 

以上3点が主にこの夏休みで気づいた、自分に関するnewなことです。。

 

書いてみると、自己満ぽいこととか、 ただ自分をかばってるだけのように聞こえなくもないですが、これだけ自分のことを一気にとらえることができたのは初めてなので、これはこれとして自分になにか意味があったのかなと思ったりもしてます。

 

長文失礼いたしました。

では

ユキ